(前回は,こちら)
「この家から,出て行った方がいい。司法試験の勉強を続けてもいいけど,家を出て,自活して,独り立ちしないとだめよ。」
論文試験に落ちた日,母親からこのように言われたとき,自分も,
「もう,いつまでもこのような生活はできないな。」
と,覚悟した。
そこで,私も,
「うん,分かった。」
と,即答した。
今後の生活に見通しがあったわけではなかったが,人間,腹が固まると,悩まないものだ。
「そのときはそのときで,何とかすればいい。」
という開き直りができてくる。
言い換えると,悩んでいるということは,「まだ動くべきではない。」というサインなのだろう。
さて,話が少し脱線したが,当時の自分には職がなかったから,まずは収入源を確保しなければならない。
そこで,まず,当時,夏休みだけアルバイトしていた,司法試験予備校のT法律研究所に頼んで,秋以降も,週に3~4日,働かせてもらうようにした。
T法律研究所で新しく担当した仕事は,当時,新しく開講した,「論文合格特訓講座」という講座のために,問題,解答例,解説をそれぞれ作成するというものであった。これは,自分の勉強にとっても大変役に立ったが,詳しくは,次回以降のブログで説明する。
次に,T法律研究所でのアルバイト代だけでは生活できないので,その年,司法試験に合格した先輩に頼んで,先輩のアルバイトを譲ってもらった。
これは,週に2~3回,夜7時から翌朝8時30分まで,宿直員として母子生活支援施設に泊まり込み,施設内を巡回,宿直するという内容である。
仮眠室には勉強机があったので,夜間,勉強ができるという環境が有り難かった。
このように,収入源の確保に動きつつ,並行して,住処も探した。
定職がないので,家賃の安いことが絶対条件だったが,アパートの管理人をしつつ受験勉強をしていた先輩に相談したところ,ちょうど,空き部屋ができたということで,そのアパートに入れてもらえることになった。
アパートは築40年,部屋は4畳半の1部屋で,風呂はなくてトイレは共同,3年後に取り壊し予定という条件であったが,家賃が月額3万5000円,大学図書館まで徒歩3分という立地は魅力的だったので,迷わずそこに決めた。
このようにして,論文試験に落ちた日から1ヶ月程度で,仕事と住まいを確保し,新生活の準備が整った。
新しい生活の舞台となるアパートへの,引越が終わって,その部屋の真ん中で,大の字になって寝転び,天井を見つめる。
相変わらず,将来への展望はなかったが,気持ちは軽くなっていた。
「これから,自分の足で生活するんだ。これが,『自由』というものなんだ。」
その日の空は,久しぶりに,青々と見えた。
新しい門出を,空も祝ってくれているように感じた。
しばらくの間,寝転びながら,何を考えるでもなく,ただ,ぼんやりと天井を見つめていた。
(続く)