司法試験受験記(4)~暗黒時代~

(前回は,こちら

 

 前回,「予備校の問題・解答例集めに狂奔した」と書いた。

問題・解答例はたくさん集まり(各科目とも,200~300問程度は集めたと思う。),それらを読み込む内に,論文試験の成績は少しずつ上がっていったが,本試験ではいつも,何かの科目で大失敗をし,不合格が続いた。

 

 論文不合格が続いた理由は,技術的には,実際に答案を時間内に書き上げる実践練習が不足していたことにあるが,精神的には,必死さが足りなかった点にあったと思う。

 このころ,母親から,ときどき言われていた。

 

 「大学受験の時の正志は,端で見ていて怖いぐらいだった。勉強机の椅子の下にカーペットを敷いていたのに,カーペットもその下の畳も穴が開いてしまったのだから,本当に集中して勉強していたと思う。

 今の正志は,そのときに比べて,怖さというか,鬼気迫るものが感じられない。今のままではずっと合格できないよ。」

 

 確かに,このときの自分は,実家に住んでいたから,衣食住の心配はしなくて良かった。

 勉強するための学費は,アルバイト(家庭教師,東〇ディズニーランドでのホッドドッグ販売や車の誘導)で賄うことができた。

 従って,贅沢しなければ,生活には困っていなかった。

 

 しかし,精神的には,いつも,何か重い物が背中にのしかかっているような気がした。

 自分はこの先,どうなるのだろう。

 一生このままで終わるのだろうか。自分が合格できないまま終わったら,今は亡き,かつて司法試験を目指していたという祖父は,どんなにか悲しむだろう。

 それとも,「このまま」どころか,何時の日か,自分はホームレスとなるのだろうか。

 

 アルバイトをしていても,勉強していても,いつもいつも,そのような不安がつきまとう。

 今思えば,そのような不安に囚われることで,自分のエネルギーを「漏電」させていたわけだが,当時は,そこまで思いが及ばなかった。

 

 「必死さが足りない」というのは,分かる。自分でもそう思う。

 しかし,それならば,どうすれば良いのか。どうしたら,大学受験の頃の「必死さ」と取り戻せるのか,今の自分には分からない。

 

 考えても考えても,堂々巡り。

 論文試験は,かつてのような,「総合成績G」ということはなくなったが,それでも,上がったり下がったりで,先行きが見えない。

 

 今,写真アルバムを見返してみると,20歳代半ば~後半にかけて,写真が殆ど残されていないことに気づく。

 また,この頃の自分の生活については,ほとんど思い出がない。正確に言えば,記憶が欠落しており,何があったのか,思い出せない。

 なので,私は今でも,この頃の時代を,「暗黒時代」と呼んでいる。

 

 さて,最終合格の2年前,またしても,論文試験合格者の掲示板に自分の名前はなかった。その後,日比谷公園に入ったところで記憶が途絶えている。

 気が付いたら,家にいた。

 自室の真ん中で正座し,しばらくしていると,自分の声が聞こえた。

 聞こえてきたのは,泣き声だった。最初はむせび泣きだったが,間もなくしてそれは,号泣に変わった。

 

 おそらく,気持ちが,もう限界だったのだと思う。

 もやもやとしたものが,ずっと,自分の中に巣くっていた。このまま我慢し続けたら,おそらく鬱状態になっていたのかも知れない。

 思い切り泣くことで,自分の中にある「もやもやとしたもの」を,無意識に吐き出したのだと思う。

 

 亡き終わる頃,母が部屋に入ってきた。

 そして静かに,しかしはっきりとした声で,こう言った。

 

 「正志は,この家から出て行った方がいい。」

 

続く