(前回は,こちら)
さて,どうにか,激安の家賃で住む所を確保したわけだが,価格と品質は相関関係にあるようであり,私の部屋は,お世辞にも快適とは言えなかった(紹介してくれたO先輩,ごめんなさい。なお,O先輩も司法試験に合格し,今は立派な弁護士になっています。)。
廊下は歩けばミシミシ音がするし,隣室のテレビの音が聞こえるぐらいに壁は薄いし,勿論エアコンはないし,共同トイレを覗いてみると・・・できれば使わないで済ませたい。
まあ,3年後には取り壊す予定だという建物なので,仕方ないとは言える。
というわけで,なるべくお金をかけず,新しい家での生活を快適にすべく,幾つかの工夫を凝らした。
以下,思いつくままに記してみる。
- 朝食について
朝食は,パンとコーヒー。パンとコーヒー豆は,近所の100円ショップで調達していた。生活必需品が安く手に入るのは有り難い。デフレに感謝である。
電子レンジは,実家にあった古い物を使っていたが,冬,寒い日に,電気カーペットと電子レンジを一緒に動かすと,ヒューズが飛んでしまうので,電子レンジを動かすときは電気カーペットの電源を切るよう,気をつけた。
- 昼食について
昼は,できるだけ,外出するようにした。
大学図書館で勉強していたときは,大学近くの弁当屋で弁当とお茶を買ってきて,図書館入り口前のベンチで,近寄ってくるスズメやハトを眺めながら弁当を食べるというのが,いつものパターンであった。
T法律研究所のバイトがある日は,バイト仲間と外食していた。
1人で,予備校の自習室で勉強していたときは,昼食にまつわる記憶がないので,多分,昼食は食べていなかったかもしれない。
- 夕食について
家で食べるときは,玄米,インスタント味噌汁,冷や奴,納豆,時々たくわんというのが,定番であった。
玄米だけは,実家から送ってもらい,残りは,100円ショップのお世話になった。
母子生活支援施設での宿直がある日は,施設の近くのお弁当屋で弁当を買い,宿直施設で食べていた。そのうち,弁当屋のおばさんに顔を覚えられ,おかずを多めにサービスしてくれるようになった。
- 風呂について
家に風呂はなかったので,必然的に,銭湯のお世話になった。
銭湯に何回か通うと,顔なじみができるので,風呂場でなじみさんとおしゃべりしつつ,風呂から上がった後は休憩室でコーヒー牛乳を飲むのが楽しみであった。休憩室には缶ビールもあったはずだが,私の頭の中では,「銭湯ではコーヒー牛乳」と決まっていた。
もっとも,銭湯の入浴料も,積み重なると馬鹿にならない。
というわけで,最終的には,銭湯に通うのは週に1,2回とし,残りは,当時通い始めていたスポーツジムの更衣室でシャワーを浴びることで済ませた(ジム通いについては,改めて触れたい)。
なお,洗濯は,銭湯の隣にあったコインランドリーを使っていた。
- 衣類について
衣服については,近所のディスカウントストアでスニーカーを1000円で買ったことと,どこかの駅前の展示販売で2000円のスポーツバッグを買った他は,下着類を時々購入していたぐらいで,新しい衣服は買っていない。
なお,スポーツバッグは,今でも現役である。
- 暑さ寒さ対策について
エアコンはないので,当然,夏は扇風機である。が,建物内に熱がこもっているのか,全く涼しくならない。
というわけで,室内にいるときは,上半身は裸で過ごし,寝るときは,窓を全部開けて,風が通るようにした。窓を開けっ放しにしていたのは,こんなあばら屋みたいな建物(O先輩,ごめんなさい。)にわざわざ入るような泥棒はいないだろうと考えていたことと,実際,盗まれて困る程のお金がなかったからである。
冬は,電気カーペットと,重ね着の二段構えでしのいだ。俳句には,冬の季語として,「着ぶくれて」という言葉があるが,言い得て妙だと思ったものだ。
-
トイレについて
一番困ったのは,トイレである。
生きている以上,生理現象から逃れることはできない。しかし,あのトイレはとても〇〇〇〇て(〇の中に入る言葉については,想像にお任せします。),できれば,あのトイレには入りたくない。
というわけで,対策としては,「できるだけ外にいて,用足しは外でする。」ということになる。
家にいる間に催してきたときは,幸いにして,徒歩数分のところに大学図書館があったので,開館中だったら図書館に駆け込んで,図書館のトイレのお世話になtっていた。あの図書館には,今でも大変感謝している。
このような感じで,新しい家で,日々を過ごしていった。
次は,このときの勉強方法などについて説明したい。
(続く)