債権者の思い出(1)

ある会社の私的再建に取り組んでいたときのこと。

 

メインバンクと協議を重ねながら再建スキームを練り上げ,最終的な再生計画も発表出来る段階になった。各金融機関の同意を得るべく,私は,金融機関周りをしていた。

メインバンクからの,「地元の金融機関の説得はこちらで引き受けます。東京の金融機関はお願いします。」との要望を受け,東京の金融機関についてはこちらで再生計画への同意取付を行うことになったのだった。

 

東京都中央区にある,ある地方銀行の支店を訪問したときのこと。

担当者の上司であるという部長氏と対面した。

 

部長氏は,応接室で名刺交換するなり,どっかとソファに腰を下ろし,背もたれに背中を付けてふんぞり返っていた。

こちらは,背もたれからは背中を話して,テーブルに前傾姿勢で話していたので,端から見たら,こちらがペコペコしているように見えていたことだろう。

 

それはさておき,部長氏は,再生計画案にケチをつけ始めた。

曰く,こんなずさんな計画案は見たことない,話にならない・・・

そして,「ここの銀行だけ,借入金の一部を優先弁済するとはどういうことか。到底受け入れられない。」という発言が出た。

 

実は,会社は,私的再建を開始する少し前,資金ショートの危機に陥っており,別の金融機関から緊急融資を受けていた。

その緊急融資がなければ会社は資金繰りが続かず,倒産に追い込まれていたことだろう。

会社がともかく再生計画案を提示できるようになったのも,そのときの金融支援があったればこそ。だから,その緊急融資分については債務免除を求めず,全額弁済しようというのが,会社の意思であり,そのことについては,部長氏と面会する1年前,私的再建を開始したときから各金融機関に表明していたし,ご意見があれば受けつけるとも表明していたし,メインバンクも了解済みであった。

 

だが,部長氏は,そんな経緯はご存じなかったらしい。初めからあまり関心がなかったのか,それとも,担当者からの報告が不充分だったのか。報告はあったが,融資シェアが高くない故,忘れていたのか。

 

いずれにせよ,聞き捨てには出来ない。

「そのことは,一番最初から申し上げていますし,意見があったら言って欲しいとも申し上げていました。受け入れられないというのなら,どうして今まで何も言わなかったんですか。なんでそんなことを今ごろ言うのですか。」

とかみついたら,部長氏はしばし口を閉ざし,担当者が「まあまあ」と取りなして,その場はそれで収まった。

 

最終的に,その銀行からも同意を得ることができたのだが,後日,銀行に再度出向いて合意書を受け取ったとき,部長氏は顔を出さなかったし,担当者も見送りに出てこなかった。

自分の腹を痛めて融資したわけでもないのに,ずいぶん横柄だなと感じたものである。

 

あの部長氏は今ごろどうしているか。名前は忘れたが,顔は今でも良く覚えている。

それ以降,その銀行が私の脳内ブラックリストに載ったのは言うまでもない。