バイオリンが喜んだ日(1)

 5歳頃,バイオリンを始めた。

 弓に付ける松ヤニがおまんじゅうに見えて,バイオリンをやると言ったら,まんじゅうを食べられると思ったからである。

 その直後,松ヤニの正体を知ることになるのだが,そのことを気にしなかったのは,子ども故の柔軟さというものであろう。今,これぐらい物事に囚われない気持ちでいられたら,さぞや人生,生きやすかろうと思う。

 

 さて,最初に教えてもらった先生は,「岩船雅一(いわふね・がいち)」という人で,レッスン中,いつもホットミルクを飲んでいる先生だった。

 後で,母から聞いたところによると,私はスジが良かったらしく,先生から,音楽学校へ進学させたらどうかと薦められたこともあったらしい。母も,私が女の子だったら,音楽学校への進学を考えていたというから,きっとそれなりの素質はあったのだろう。

 

 そのようにして始めたバイオリンを,最初の頃は毎日30分,やがては毎日1時間~3時間は練習するようになり,最後には,チゴイネルワイゼンなどを一応演奏できるレベルまでは到達したのだが,この頃は,あまりバイオリンを楽しいと思ったことはない。どちらかというと,仕方なしに,惰性でバイオリンを続けていた。

 中学高校時代は,管弦楽部に所属していたので,バイオリンとの付き合いは長かったはずだが,もともと自分から好きで始めた習いごとではなかったこと,中学以降思ったように上達できなくなり,上達の喜びを感じられなくなったことなどが,理由として挙げられると思う。

 

 バイオリンは,あるレベルまではすぐに上達するが,一定レベルから上に行くのは簡単ではない。そして,毎日数時間は練習しないと,すぐに下手になってしまう。音楽学校に行くわけでもないのに,そこまでバイオリンに時間を費やすのは,正直つらいなと思っていた。社会人になったら,なおさらのことである。

 

 大学に入学した後は,音楽とは関係ないサークルに入っていたので,益々バイオリンから遠ざかった。

 そして,大学3年の頃,いったん,バイオリンをやめることにした。バイオリンの先生を含め,周りの人々からは,ここまでバイオリンを続けてきたのにやめるのは勿体ない,少しずつでも続けたらどうかと慰留されたが,決心は固く,残りの大学時代も,司法試験の受験勉強をしていたときも,司法修習生になったあとも,弁護士になってからも,バイオリンには一切触れることがなかった。

(続く)