(前回の話は、こちら)
さて、元従業員から残業代の支払いを請求する労働審判をおこされ、
会社側の法律的な反論が裁判所には通じなかったというはなしだった。
普通ならば、ここで「勝負あり」となるのだが、
A社の場合、最も有効な武器が、まだ残っていた。
それは、
「金なら払えない」
「ない袖は振れない」
というものであり、弁護士の中には、自嘲気味に、
「手元不如意の抗弁」
と呼ぶ人もいる。
要するに、A社は、お金がない。情けない話だが、本当だ。
とはいえ、A社の社長や私がそう言っているだけでは、説得力がない。
というわけで、債務整理開始以来、ずっとA社に作らせていた資金繰り表が、ここで役に立った。
直近の決算書を基に、資産負債状況を説明し、
ここ数ヶ月の資金繰り表も示し、とても未払残業代を一括で払うだけの余裕がないことを示す。
その上で、毎月1万円ずつの分割払いでどうかと、提案してみた。
裁判所も、申立人側も、「手元不如意の抗弁」に対してはしょうがないと考えたのか、
「まあ、残業代の支払い義務を調停調書に明記できれば、将来、執行する道が残るわけだし」
という感じで、結局、数万円ずつの分割払いで和解できた。
というわけで、無事に労働紛争は片付いたわけだが、
懸念事項はまだ残っていた。
スーパーのお店の競売手続の件である。
諸々の事情があって競売手続は遅れていたが、ついに入札され、そして、落札されてしまった。
聞くところによると、落札したのは同業者だという。
なるほど、スーパーとして使用するのなら、落札もあり得るわけだ。
ここに至り、A社はいよいよ万事休す。
残念ながら、A社の再建は諦めて、大人しく店じまいした。
そして、破産申立をし、管財人の手で、A社の土地・店舗等は競落人に引き渡された。
このとき、A社の土地上に住んでいた社長に対して、競落人から明け渡しを求められ、
しばらくスッタモンダしていたが、最終的には、社長が引っ越し先を見つけ、
引っ越しまでの数ヶ月間、明け渡しを猶予するということで、落ち着いた。
(この過程でも、色々なことがあったのだが、本稿の守備範囲ではないので、
このあたりは、いずれ機会があればとさせて頂く)
終わってみると、A社はなくなった。
社長も、住んでいる家を追われた。
が、新しい家を見つけることはできた。家族も健在である。
「企業再建」という成果は残せなかったが、
経営者の最低限の生活はどうやら守ることができた。
これが、私の、はじめての企業再建の顛末である。
社長や奧さんからは、思い出したように、今でも時々連絡が来る。
会社はなくなったが、社長らとは、これからも長いつきあいとなりそうだ。
(終わり)